親に多額の借金があったとわかり、相続放棄を決めた。ただ、実家には家財道具も、故人が大切にしていた着物や時計もそのまま残っている。放棄した以上、自分はもう赤の他人のはずだが、電気も水道も止まらないまま放置された家を前にすると、本当にこのまま何もしなくていいのか不安になる。相続放棄をすれば遺品整理の義務からも解放される、というのは半分正しく、半分間違っている。
相続放棄をすると、遺品整理の「権利」も「義務」も原則としてなくなる
民法939条は「相続の放棄をした者は、その相続に関しては、初めから相続人とならなかったものとみなす」と定める。初めから相続人でなかった以上、遺品を引き取る権利も、整理する義務も、原則として発生しない。「相続放棄をしたら遺品整理はしなくていい」という理解は、大枠としては正しい。
問題は、では誰が遺品整理をするのかという点だ。自分以外に相続人がいる場合、あるいは次順位の相続人(たとえば子全員が放棄すれば親、親もいなければ兄弟姉妹)がいる場合は、その人が新たに相続人となり、遺品を引き取る権利と義務を持つ。弁護士法人心銀座法律事務所の解説でも、他に相続人がいる場合は「その方に遺産を引き渡す」ことになるとされている。次順位の相続人にあらかじめ事情を伝え、遺品の引き渡し方法を相談しておくのが、放棄を決めた後にまずやるべきことになる。法定相続人が誰もいなくなった場合、つまり相続人全員が相続放棄をした場合は話が変わる。これは後述する。
「現に占有」している遺品だけは保存義務が残る(民法940条、2023年4月施行の改正)
権利も義務もない、で話が終わらないのは、民法940条に「相続の放棄をした者による管理」という規定があるからだ。この条文は2023年4月1日施行の改正で内容が大きく絞り込まれた。改正前は、相続放棄をした人全員が「その財産の管理を継続」する義務を一律に負っていた。相続人が実家を出て何年も戻っていなくても、放棄したというだけで管理義務がついて回る建て付けだった。
改正後の940条1項は、義務の対象を「その放棄の時に相続財産に属する財産を現に占有しているとき」に限定した。行政書士法人Treeの解説によれば、「現に占有」にあたるのは被相続人と同居していた場合や、通帳・実印など財産を事実上管理していた場合で、別居していて財産に一切関わっていなければ義務そのものが生じない。実家を離れて暮らし、家財道具にも触れていない相続人であれば、放棄と同時に何の義務も残らないと考えてよい。行政書士法人Treeの解説はこの点を詳しく整理している。
一方、故人と同居していた、あるいは実家の鍵や通帳を預かっていたという相続人は、義務の対象になる。求められるのは「管理」ではなく「保存」だ。神楽坂法務合同事務所のコラムによれば、旧法の「管理を継続」という表現から新法では「保存」という表現に変わり、条文上の注意義務の水準は「自己の財産におけるのと同一の注意」と定められている。この水準を採用した法制審議会の議論では、通常の善良な管理者の注意義務(善管注意義務)を課すと放棄者の義務が重くなりすぎるとして、より軽い基準にとどめる考え方が採られている。
この保存義務がいつまで続くかも、改正前後で変わった。改正前は「次順位の相続人が管理を始めることができるまで」というあいまいな基準だったが、改正後は「相続人又は第九百五十二条第一項の相続財産の清算人に対して当該財産を引き渡すまでの間」と明確になった。次順位の相続人に鍵と遺品を引き渡すか、後述する相続財産清算人が選任されて引き渡すか、どちらかが完了して初めて義務から解放される。弁護士たちばな総合法律事務所は、この保存義務を怠って第三者に損害を与えた場合、たとえば屋根瓦の落下で通行人がけがをしたようなケースでは、損害賠償責任を問われる可能性があると指摘している。弁護士たちばな総合法律事務所の解説が示すとおり、放置する期間が長くなるほど、そのリスクは相続放棄をした自分自身に返ってくる。
相続人全員が放棄したら、相続財産清算人が遺品を引き取る
自分だけでなく、次順位・次々順位も含めて法定相続人全員が相続放棄をすると、相続財産の引き渡し先がいったん宙に浮く。この場合に選任されるのが「相続財産清算人」だ。裁判所の説明では、相続人のあることが明らかでないときに、利害関係人(被相続人の債権者、特定受遺者、特別縁故者など)または検察官の申立てにより、被相続人の最後の住所地を管轄する家庭裁判所が選任するとされている。申立てには被相続人と直系親族の戸籍謄本一式や、不動産登記事項証明書、預貯金の残高証明書などが必要になる。裁判所の解説ページに具体的な手続きがまとまっている。身寄りのない人が亡くなった場合に財産がどう処理されるかの流れは、身寄りのない人が死亡したら遺品・財産はどうなる?相続財産清算人と特別縁故者、自治体の役割を解説で詳しく扱っている。
相続財産清算人の選任には費用がかかる。税理士法人チェスターの解説では、相続財産が清算人の報酬や管理費用をまかなうのに不足すると見込まれる場合、申立人が数十万円から100万円程度の予納金を納める必要があるとされる。予納金は相続財産から十分な報酬を支払えれば戻ってくるが、財産がほとんど残っていなければ戻らない可能性もある。税理士法人チェスターの解説にある通りだ。相続放棄をした人が自分から申立てをする義務はないが、次順位の相続人がいない、あるいは見つからないことがはっきりした時点で、いつまでも保存義務を抱えたままにしたくないなら、あえて自分から申立てを検討するという選択肢もある。
遺品を処分すると相続放棄ができなくなる場合、価値のない物の形見分けは別
ここまでは放棄が有効に成立した後の話だが、実務でつまずきやすいのはむしろ放棄の前後、遺品に手を出していいかどうかの境目だ。民法921条は、相続財産の全部または一部を処分したとき(1号)に加えて、限定承認または相続放棄をした後であっても相続財産を隠匿し、私にこれを消費し、または悪意で財産目録に記載しなかったとき(3号)も、単純承認をしたものとみなすと定める。単純承認が成立すると、借金などのマイナスの財産も含めてすべてを引き継ぐことになり、相続放棄の効力そのものが失われる。3号は放棄の「後」の行為にも及ぶ点が重要で、無事に放棄が受理されたからといって、その後に価値のある遺品を独断で売却・消費すれば、あとから相続放棄が覆るリスクが消えるわけではない。放棄前の処分行為(921条1号)がどこまで許されるかについては、遺品を勝手に処分すると相続放棄ができなくなる?「法定単純承認」をわかりやすく解説で判例を交えて詳しく解説している。
一方で、遺品を一切動かしてはいけないわけでもない。裁判所が単純承認にあたるかどうかを判断する基準は、社会通念上の経済的価値の有無だ。財産的価値がないと評価される日用品や消耗品、着古した衣類程度であれば、形見分けとして持ち帰っても相続財産の処分にはあたらないとされてきた。写真・手紙・普段使いの衣類・日用品といった、換金性のない品を整理する分には、通常問題にならない。弁護士法人池袋吉田総合法律事務所も、財産的価値のない遺産は相続財産の処分にあたらないと解釈される余地があるとしている。弁護士法人池袋吉田総合法律事務所の解説がこの点を扱っている。問題になるのは、時計・貴金属・骨董品・着物といった、素人目には価値の判断がつきにくい品を「たいした値段ではないだろう」と自己判断で処分・持ち帰りしてしまうケースだ。形見分けとして適切な範囲や渡す時期についての考え方は、遺品の形見分けはいつ・何を渡す?勝手にすると相続放棄ができなくなるケースと相続税の考え方にまとめている。
「価値のある遺品を勝手に処分しても、誰にも気づかれないのでは」という疑問を持つ人もいるだろうが、放棄後の処分が発覚する経路は一つではない。弁護士法人池袋吉田総合法律事務所は、他の相続人が遺品の変化に気づく場合、被相続人に借金があった場合に債権者が財産状況を調査する過程で発覚する場合、相続人全員が放棄して相続財産清算人が選任され、財産調査の中で不自然な処分が見つかる場合の三つの経路を挙げている。特に債権者は、相続放棄・限定承認の申述の有無を家庭裁判所に照会できる制度を利用でき、申述が受理された後でも安心はできない。「気づかれないだろう」という前提に立たず、価値の判断がつかない遺品は動かさないというのが、最も単純で確実な防御策になる。
賃貸物件の遺品整理――残置物・滞納家賃・連帯保証人は別の問題
故人が賃貸物件で暮らしていた場合は、もう一段注意が必要になる。相続放棄をすれば家賃の滞納分を相続人が支払う義務はなくなるが、その相続人が賃貸借契約の連帯保証人にもなっていた場合は話が別だ。ベンナビ相続の解説では、連帯保証人としての責任には相続放棄の効力が及ばず、免除されないとされている。ベンナビ相続の解説にあるとおり、親の賃貸借契約に子が連帯保証人として名前を連ねているケースは珍しくない。放棄を決める前に、まず賃貸借契約書の保証人欄に自分の名前がないかを確かめる。
残置物、つまり部屋に残された家具・家電・衣類などの扱いも、ここまで見てきた遺品整理と同じ構造で考えればいい。価値のないものの片付けは通常問題にならず、価値のあるものを勝手に売却・持ち帰りすれば921条のリスクが生じる。大家や管理会社から早く部屋を空けてほしいと催促されても、それは相続人が独断で高価な遺品を処分してよい理由にはならない。次順位の相続人や相続財産清算人が決まるまでは部屋の中の物には手をつけず、大家側には相続放棄の手続き中であることを伝えて、対応を待ってもらうのが実務上の落としどころになる。
遺品整理の費用は誰が負担するのか
相続放棄をした人には、遺品整理の費用を負担する法律上の義務はない。放棄によって被相続人の権利義務を一切引き継がない以上、その費用も原則として自分の負担にはならない。弁護士法人池袋吉田総合法律事務所も、相続放棄をする人は遺品整理業者への費用を原則として負担する必要はなく、他の相続人に事情を説明して、相続人側に費用を支払ってもらうべきだとしている。次順位の相続人がいればその人が、相続人が誰もいなければ相続財産清算人が選任されたうえで相続財産の中から費用が支出されることになる。相続財産から遺品整理費用を支出する際の考え方や、相続人間での費用の立て替え・精算の実務については、遺品整理の費用は相続財産から払える?相続税の債務控除と払戻し制度の関係を解説と遺品整理の費用は誰が払う?相続人間の負担割合と、一人が立て替えた場合の精算方法で扱っているので、放棄をしていない他の相続人がいる場合はあわせて確認してほしい。
放棄を決めた本人が、保存義務の範囲を超えて自発的に業者へ整理を依頼し、費用まで立て替えてしまうと、その支出自体が「消費」や「処分」と評価されるリスクを新たに背負い込むことになる。急いで片付けたい気持ちがあっても、自分で発注するのではなく、次順位の相続人や相続財産清算人が決まるのを待つ方が、法的な立場としては安全だ。
「現に占有」と「経済的価値」――二つの軸で迷いは整理できる
相続放棄をめぐる遺品整理の実務は、結局のところ「自分が現に占有しているかどうか」と「経済的価値があるかどうか」という二つの軸で整理できる。占有していない実家の遺品なら、放棄と同時に手を離してよい。占有している遺品でも、価値のない日用品の片付けは保存義務の範囲に収まる。判断が割れるのは、占有していて、かつ価値の見極めがつかない遺品が出てきたときだけだ。そこだけは独断で処分せず、次順位の相続人への引き渡しか、相続財産清算人の選任を待つ。それが、あとから単純承認とみなされる事態を避ける一番確実な道筋になる。

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遺品整理で仏壇や位牌を引き継ぐのは誰?「祭祀承継者」の決め方と、なりたくないときの扱い – 安心ライフどっとびず がピンバックを送信
2026年9月20日 11:08 AM
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