父の机の引き出しから、勤務先の人事部の名前が入った封筒に「退職手当支給のお知らせ」という書類が出てきた——遺品整理の途中でこうした通知に行き当たる遺族は少なくない。金額欄には数百万円という数字が並んでいることもあり、他の相続人とどう分ければよいのか、あるいは借金が心配で相続放棄を考えている場合に受け取ってよいものか、判断に迷う人が多い。だがこの「死亡退職金」は、預金や不動産と同じ意味での相続財産とは限らない。
1. 死亡退職金とは何か — 定年退職金とは別の制度
死亡退職金とは、在職中に亡くなった従業員について、本来その人が受け取るはずだった退職金相当額を、勤務先が遺族に支払う制度である。生きて定年を迎えたときの退職金とは別物であり、支給するかどうか、いくら支払うかは法律で一律に決まっているわけではない。多くの企業では就業規則の一部として「退職金規程」を設けており、死亡退職の場合の取り扱いをそこに定めている。退職金規程を持たない企業では、死亡退職金そのものが存在しないこともある。遺品整理で勤務先からの通知書類が出てきたときにまず確認すべきは、故人の退職金規程に死亡退職の定めがあるかどうかであり、これがあるかないかで、この先の話がまったく変わってくる。
2. 死亡退職金は「相続財産」に入らない — 最高裁判決が示した考え方
民法上、死亡退職金は必ずしも相続財産に含まれない。最高裁判所は昭和55年11月27日の判決で、この点についてひとつの枠組みを示した。事案は、特殊法人(旧・財団法人海外貿易振興会の権利義務を承継した法人)に長年勤めていた職員が在職中に死亡し、その死亡退職金の受給権が遺族固有の権利なのか、それとも相続財産に属するのかが争われたものである。この法人の退職金規程は、死亡による退職の場合は遺族に支給すると定め、遺族の範囲・順位についても「配偶者(内縁の配偶者を含む)」を筆頭に、民法が定める相続人の順位決定の原則とは著しく異なる独自の定め方をしていた。最高裁は、受給権者となる遺族は相続人としてではなく、退職金規程の定めにより直接、自己固有の権利として死亡退職金を取得するのであり、したがって死亡退職金の受給権は相続財産に属さない、と判断した。最高裁昭和55年11月27日判決の判旨が示したこの考え方は、その後の実務でも死亡退職金の基本的な位置づけとして踏襲されている。
2-1. 受給権者の順位は、退職金規程が独自に決める
ここで重要なのは、誰が死亡退職金を受け取るかを決めるのが、民法の法定相続人の順位ではなく、勤務先の退職金規程だという点である。多くの企業の退職金規程は、配偶者を最優先とし、その次に子、父母という順序を独自に定めている。内縁の配偶者を法定相続人より優先する規程も珍しくない。このため、法定相続人の間の相続分の割合とは無関係に、規程で指定された一人、または複数人がまとまった額を受け取ることになる。遺産分割協議の中で「退職金も分けるべきだ」と主張する相続人がいたとしても、規程によって受給権者が明確に定められている以上、その人固有の財産として扱われ、分割協議の対象にはならないという整理になる。
2-2. 公務員や、規程の定めがある場合の具体例
公務員についても同様の考え方があり、最高裁は昭和58年10月14日の判決で、県立高校の教諭であった人物の死亡退職手当をめぐる事案を扱っている。この事案では、遺言執行者が、被相続人が遺言で退職手当を母と兄弟に遺贈すると定めていたとして、支払いを請求した。しかし最高裁は、受給権者となる遺族は相続人としてではなく、条例等の規定により直接、死亡退職手当を自己固有の権利として取得するのであり、死亡退職手当の受給権は本人の遺産に属さず、遺言による遺贈の対象にもならない、と判断した。最高裁昭和58年10月14日判決の解説にあるとおり、本人が遺言で「誰に渡す」と書いていたとしても、それを覆すことはできない。公務員の死亡退職手当は、国や自治体の法律・条例が受給権者の範囲・順位を定めており、配偶者を最優先とする構成が一般的とされる。
3. 相続放棄をしても死亡退職金は受け取れるか
相続放棄を考えている遺族にとって切実なのが、この死亡退職金を受け取ってよいかという問題である。相続放棄をすると、その人は初めから相続人でなかったことになり、預金や不動産といった相続財産を一切引き継げなくなる。しかし死亡退職金は、ここまで見てきたとおり受給権者固有の財産であって相続財産そのものではないため、相続放棄をした人であっても、退職金規程で受給権者に指定されていれば受け取ることができる。東京新宿法律事務所の解説でも、この整理が確認できる。死亡保険金についても同じ理屈が成り立つとされており、受取人が指定された死亡保険金・死亡退職金は、相続放棄をした人にも及ばない「別枠」の財産として扱われる。
3-1. ただし「受給権者の指定」がない場合は話が変わる
この整理が成り立つのは、退職金規程などで受給権者の範囲・順位が独自に定められている場合である。退職金規程がそもそも存在しない、あるいは受給権者の定めがなく単に「本人に支給する」とされている場合には、死亡退職金は本人の財産、つまり通常の相続財産として扱われる可能性が高い。この場合は話が一変する。相続人がこの退職金を受け取り、生活費などに使ってしまうと、民法921条1号の「相続財産の処分」にあたり、法定単純承認が成立してしまう。遺品を勝手に処分すると相続放棄ができなくなる?「法定単純承認」をわかりやすく解説で見たとおり、いったん単純承認が成立すると、後から借金の存在に気づいても相続放棄はできなくなる。死亡退職金の通知書が出てきたときは、金額の大きさだけでなく、退職金規程に受給権者の定めがあるかどうかを、勤務先の人事担当者に確認することが欠かせない。
4. 相続税は誰が払う?「みなし相続財産」として課税される仕組み
民法上は相続財産に含まれないのに、税金の話になると扱いが変わる。相続税法は、死亡退職金を「みなし相続財産」として相続税の課税対象に含めている。国税庁のタックスアンサーは、被相続人の死亡によって支給されるべきであった退職手当金・功労金などを受け取る場合で、被相続人の死亡後3年以内に支給が確定したものは、相続または遺贈により取得したものとみなされて相続税の課税対象になる、と説明している(根拠は相続税法3条・12条・15条、相続税法基本通達3-18・3-30・3-31)。国税庁「相続税の課税対象になる死亡退職金」で確認できる。ここでいう「支給が確定した」とは、実際にお金が振り込まれた日ではなく、支給額が正式に決まった日を指す。振込が遅れても、死亡から3年以内に金額が確定していれば、みなし相続財産として扱われる。
4-1. 死亡後3年を境に「相続税」と「所得税」が分かれる
死亡退職金の支給決定が遅れ、死亡後3年を超えてから確定した場合は、扱いがまったく異なる。国税庁の質疑応答事例によれば、死亡後3年を経過してから支給が確定した退職金は、相続税の課税価格計算の基礎には算入されず、代わりに受け取った遺族の一時所得として所得税の課税対象になる。国税庁「死亡による退職の場合」にその根拠が示されている。この場合、後述する支払調書の提出も不要とされる。役員の死亡退職金のように、株主総会や取締役会での決議に時間がかかるケースでは、この3年という区切りが実際に問題になることがある。
5. 非課税枠「500万円×法定相続人の数」— 死亡保険金と合算されるか
みなし相続財産として相続税の対象になるとはいえ、死亡退職金には独自の非課税枠が用意されている。非課税限度額は「500万円×法定相続人の数」で計算され、これを超えた部分だけが相続税の課税価格に算入される。この非課税枠は、死亡保険金の非課税枠(こちらも500万円×法定相続人の数)とは別枠で計算される。つまり、死亡保険金を2,000万円、死亡退職金を1,500万円受け取った遺族が法定相続人3人だった場合、死亡保険金側で1,500万円(500万円×3人)、死亡退職金側でも1,500万円(500万円×3人)と、それぞれ独立して非課税枠を使うことができる。SMBC日興証券の解説でもこの点が確認できる。
5-1. 相続放棄した人は、この非課税枠を使えない
ここで注意が必要なのは、非課税枠を使えるのは相続人だけだという点である。民法939条により、相続放棄をした人は初めから相続人でなかったものとみなされる。死亡退職金そのものは、受給権者に指定されていれば相続放棄をしていても受け取れるが、その際に「500万円×法定相続人の数」の非課税枠は適用されず、受け取った金額の全額が相続税の課税価格に算入される。税理士法人チェスターの解説とOAG税理士法人の解説がこの点を指摘している。一方で紛らわしいのは、非課税限度額を計算するときの「法定相続人の数」そのものには、相続放棄をした人も含めて数える、という点である。相続放棄をした人がいても、非課税枠の総額自体は減らない。ただし、その枠を使えるのは実際に相続人である人だけであり、放棄した本人が受け取った分には使えない、という二段構えの理解が必要になる。
6. 会社から「弔慰金」として受け取った場合はどうなるか
勤務先によっては、死亡退職金とは別に、あるいはその一部を「弔慰金」という名目で支給することがある。弔慰金は原則として相続税が非課税だが、無制限に非課税になるわけではない。国税庁のタックスアンサーは、業務上の死亡であれば死亡当時の普通給与の3年分、業務上の死亡でなければ普通給与の半年分を非課税の目安とし、これを超える部分は死亡退職金とみなして相続税の課税対象に含める、と説明している。国税庁「弔慰金を受け取ったときの取扱い」による。会社が「弔慰金」と呼んで支給していても、税務上はその金額次第で死亡退職金として扱われることがある、という点は見落とされやすい。なお、ここでいう弔慰金は勤務先が任意で支給するものであり、災害で家族が亡くなったときに市区町村から支給される「災害弔慰金」とは根拠となる法律も性質も別の制度である。同じ「弔慰金」という言葉でも、勤務先からのものか、行政からのものかで扱いがまったく異なる。
7. 通知書が出てきたら、勤務先に確認すべきこと
遺品整理の中で退職金規程の写しや「退職手当支給のお知らせ」といった書類を見つけたら、まず勤務先の人事・総務担当部署に連絡し、退職金規程の内容と、受給権者が誰に指定されているかを確認する。受給権者の指定があり、それが自分や他の家族であれば、勤務先が案内する請求手続きに沿って、戸籍謄本や受給権者本人の印鑑証明書などの必要書類を提出することになる。必要書類は勤務先の制度によって異なるため、案内に従うのが確実である。支払う側の会社には、相続税法59条に基づき「退職手当金等受給者別支払調書」を税務署に提出する義務がある(国税庁「法定調書の種類及び提出期限」)。この調書は税務署にも共有されるため、死亡退職金を受け取った事実を申告せずに済ませることは想定されていない。相続税の申告が必要になるかどうかは、遺品整理の費用は相続財産から払える?相続税の債務控除と払戻し制度の関係を解説で扱った基礎控除の考え方とあわせて、死亡退職金・死亡保険金を含めた財産全体で判断することになる。故人が個人事業主だった場合や、給与以外の所得があった場合は、準確定申告の期限と対象者もあわせて確認する場面が出てくる。
8. 退職金規程を確認することが、最初の一歩になる
死亡退職金は、遺品整理の現場でしばしば見過ごされる財産のひとつである。預金通帳や不動産の権利証と違って、勤務先からの通知が届いて初めてその存在に気づくことも多く、金額の大きさに動揺して、相続放棄を予定していたのに慌てて受け取ってしまう、あるいは受け取ってよいのか分からず放置してしまう、という判断ミスが起こりやすい。ここまで見てきたとおり、鍵を握るのは退職金規程に受給権者の定めがあるかどうかであり、それさえ確認できれば、相続放棄への影響も、相続税の非課税枠の使い方も、順を追って判断できる。通知書を見つけたら、まず封筒の差出人である人事・総務部署に連絡することから始まる。

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