タンスの引き出しから複数の通帳と実印が出てきた。仏壇の奥からは自宅の権利証まで見つかった。遺品整理をしながら相続人どうしで「実家は長男が、預金は三等分で」と口頭では話がまとまっても、いざ書面にしようとすると、何をどこまで書けば銀行や法務局の窓口で通用するのか分からず手が止まる。話し合いの結果を正しく書面にできなければ、せっかくまとまった合意が手続きの現場でやり直しになる。
遺産分割協議書がないと、何ができなくなるのか
民法907条は、相続人全員の協議によって遺産を分けられると定めているだけで、その結果を「遺産分割協議書」という書面に残すことまでは義務づけていない。様式も法律上は自由で、極端に言えば口約束でも遺産分割そのものは成立する。それでも実務上ほぼ必須の扱いを受けるのは、不動産の相続登記、預貯金の解約・払い戻し、自動車の名義変更、証券口座の移管といった、財産を実際に動かす手続きのほとんどで「相続人全員が合意した内容」を証明する書類として提出を求められるからだ。
法務局が公開している相続登記の申請案内(遺産分割協議編)でも、遺産分割協議書は相続人全員が実印を押印し、各自の印鑑証明書を1通ずつ添付する書類として扱われている。一方でこの案内には「法務局では遺産分割協議書の作成についての相談には応じられない」ともはっきり書かれており、作成の実務そのものは各相続人に委ねられている。
作成そのものが不要になるのは、相続人が最初から1人しかいない場合、遺産が現金・預金だけの場合、被相続人の遺言書で財産の帰属先がすべて指定されている場合、法定相続分どおりに分ける場合の四つに整理される、と相続専門の税理士法人は解説している。ただし法定相続分どおりに分けるつもりでも、不動産が含まれていると相続登記の手続き上、結局は分割の内容を書面で示す必要が出てくることが多い。遺品整理で通帳や証書が次々と出てきて悩んでいる段階なら、作らずに済ませられるケースの方がむしろ少ないと考えておいたほうが現実的だ。
不動産・預貯金・自動車は、協議書にこう特定する
遺産分割協議書に決まった書式はないが、財産の特定の仕方には実務上の作法がある。不動産は、登記事項証明書に記載されているとおりの所在・地番・地目・地積(建物なら家屋番号・構造・床面積)を正確に転記する。前述の法務局の案内でも「登記事項証明書等に記載されているとおりに正確に記載する」ことが求められており、不動産番号を記載すれば所在や地積などの詳細項目を省略できるとされている。固定資産税の通知書に書かれた表記とは微妙に異なることがあるため、権利証や登記事項証明書そのものを見ながら書き写す必要がある。
預貯金は、金融機関名・支店名・口座種別・口座番号を記載して口座を特定し、誰が取得するかを明記する。残高まで書くかどうかに法律上の決まりはなく、書かなくても協議書自体は有効になる。司法書士法人・行政書士法人の解説によれば、残高を書かない場合は「当該預貯金の全部」のように取得の範囲を書き、解約までに発生する利息の扱いも一言添えておくと、残高が変動しても書き直さずに済むという。ただしその分、相続人のあいだで誰がいくら受け取ったのかが見えにくくなるため、別途相続財産の一覧を共有しておいたほうが後々の不満は出にくい。通帳そのものが遺品整理の中で見つからない場合の探し方は預金口座の探し方で扱っている。
自動車は自動車検査証(車検証)に記載された車台番号・登録番号のとおりに書く。査定額が低い車でも、名義変更の窓口では協議書上の特定が甘いと受理されないことがある。実家の土地が夫婦の共有名義だった場合のように、亡くなった人がもともと不動産の持分だけを持っていたケースもある。この場合も相続の対象になるのは持分そのものなので、遺産分割協議書には「持分2分の1」のように亡くなった人が持っていた持分を明記した上で、その持分を誰が取得するかを書く。相続専門の税理士法人の解説も、共有持分は単独名義の不動産と同じように相続の対象になり、取得した人による相続登記が必要になるとしている。持分の表記を誤ると登記が受理されないことがあるため、登記事項証明書に記載された持分の割合を確認しながら書く必要がある。
現金や家財道具、骨董品はまとめて書いてもいいのか
遺品整理で実際に手を動かしていると、通帳や不動産のような大きな財産よりも先に、タンス預金の現金や食器棚の骨董品、貴金属といった細々した動産に直面することのほうが多い。これらを一つひとつ品目ごとに協議書へ書き出すのは現実的でないため、「上記以外のその他一切の財産は〇〇が取得する」という包括条項でまとめて受ける書き方がある。司法書士事務所の解説によれば、この書き方は少額の財産を一つずつ挙げる手間を省く目的と、記載漏れを防ぐ目的の二つから使われるという。
ただしこの一文には裏がある。同じ解説は、想定していなかった高額な財産もこの条項にそのまま含まれてしまう点を注意点として挙げている。遺品整理の最中に高価なものが出てきたときに、それを独断で処分・売却してよいかどうかは相続放棄との関係でも別の問題になる。包括条項を使うにしても、明らかに価値がありそうなもの(貴金属、美術品、自動車、有価証券など)は個別に協議の対象として書き出し、価値の判然としない日用品だけを包括条項に流し込む、という線引きをしておいたほうが、あとで「そんな高いものが入っているとは思わなかった」というトラブルを避けやすい。現金そのものの扱いや、タンス預金と相続税の関係は捨ててはいけないもので詳しく扱っている。
協議のあとに遺品の中から新しい財産が出てきたら
遺品整理は数日から数週間かけて少しずつ進むことが多く、協議書に判を押したあとになって、私道の持分や、通帳のない証券口座、非課税の山林など、見つけにくい財産が別の引き出しから出てくることがある。この事態への備えとして、協議書にはあらかじめ次のどちらかの一文を入れておくのが一般的な対処法だと、生前対策を専門にするサイトは後日判明財産への条項例として紹介している。ひとつは「新たに被相続人の遺産が確認または発見された場合は、相続人全員で改めて協議する」という再協議型。もうひとつは「本協議書に記載のない財産及び後日判明した遺産については、相続人〇〇がこれを取得する」とあらかじめ特定の相続人に帰属させておく型で、こちらは見つかるたびに全員を集めて話し合う手間を省ける。
この条項の有無は、遺品整理の進め方そのものにも影響してくる。家じゅうの遺品をひととおり確認し終える前に協議書を作ってしまうと、後日判明財産条項に頼る場面が増える。逆に言えば、権利証・通帳・証書類が出てきそうな場所(仏壇の引き出し、金庫、書斎の書類箱)を先にひととおり確認してから協議書の作成に入ったほうが、条項に頼らずに済む分だけ後の手戻りは少ない。
実印と印鑑証明書、割印・契印の押し方
協議書そのものへの押印は、民法上は実印である必要はなく、認印でも協議書自体は成立する。ただし不動産の相続登記や預貯金の解約といった提出先の実務では、相続人全員の実印での押印と印鑑登録証明書の添付が事実上必須になる。前述の法務局の案内でも、相続人全員が実印を押印し各自の印鑑証明書を1通ずつ添付することが前提として書かれている。
相続を扱う法律事務所の解説によれば、複数の相続人分の原本を作る場合は、同一内容であることを示すために各原本の綴じ目にまたがる「割印」を押す。協議書が複数ページにわたる場合は、ページの差し替えを防ぐために見開きの継ぎ目に「契印」を押す。ホチキス留めなら両ページにまたがるように、袋とじ(製本テープ)ならテープと用紙にまたがるように、相続人全員の実印で押すのが基本の形になる。
相続登記に協議書の原本を提出した場合、コピーに「原本に相違ありません」と記載して申請人が署名押印すれば、手続き後に原本の返却を受けられる。この原本還付の制度について税理士法人の解説は、相続税の申告では協議書の写しの提出で足り、原本を手元に残したまま進められることが多いとしている。銀行では原本を持参してその場でコピーを取り、原本はその場で返してもらう運用が一般的だが、対応は金融機関ごとに異なるため事前の確認は必要になる。
協議書は誰が作れるのか
遺産分割協議書の作成そのものに資格は要らず、相続人本人が作ってよい。専門家に頼む場合の役割分担は法律上おおむね決まっていて、弁護士は相続人間の交渉を含めてすべてに対応できる。司法書士は司法書士法3条により、法務局に提出する書類としての作成業務に対応する。行政書士は基本的な作成・相談に応じられるが、他の法律で制限されている範囲には対応できない、と行政書士法1条の2第2項の規定を根拠に司法書士事務所は説明している。神奈川県弁護士会の解説も、相続人どうしの利害が対立する場面で交渉に対応できるのは弁護士に限られるとしている。遺品整理業者は当然ながらこの範囲には含まれない。整理の現場で貴重品が見つかったときにまず考えるべきなのは業者に相談することではなく、相続人どうしで情報を共有し、必要に応じて上記の専門家につなぐことだ。
相続人が一人でも欠けると、協議書は無効になる
遺産分割協議は相続人全員の参加が前提で、一人でも欠けたまま作成した協議書は無効になる。相続放棄をした人は初めから相続人でなかったものとみなされるため協議には加わらない。この保存義務の扱いは相続放棄後の保存義務、限定承認との違いで扱っている。相続人の中に未成年者や認知症などで判断能力が十分でない人がいる場合は、その人に代わって特別代理人や成年後見人を選任したうえで協議に参加させる必要があり、この手続きを省いて作成した協議書はあとから無効を主張されるおそれがある。相続人全員がそろっているかどうかの確認や、一人で進めてよい範囲の線引きは相続人全員での実施が必要な範囲でも扱っている。行方の分からない相続人がいる場合や、相続人の一人がすでに亡くなっている数次相続のケースは、通常の書式に加えて別の手当てが必要になる。該当しそうな場合は、遺品整理を進める前の段階で専門家に確認しておいたほうがいい。
いったん作った協議書は、あとからやり直せるか
相続人全員が合意すれば、すでに成立した遺産分割協議をやり直すこと自体は可能とされている。ただし税務上は要注意で、相続専門の税理士法人の解説によれば、いったん有効に成立した協議をやり直す行為は「いったん確定した財産を、協議のやり直しという形であらためて移転させた」と税務上扱われる。たとえば長男が取得した不動産を、やり直しの結果として次男が取得することになった場合、対価のない移転であれば長男から次男への贈与とみなされ贈与税が、対価があれば譲渡所得税がかかる可能性がある。一方で、一部の相続人が協議に参加していなかった場合や、錯誤・詐欺・強迫があった場合のように協議そのものが無効・取消しとなるケースでは、最初から協議が成立していなかった扱いになるため、こうした課税は生じないとされる。遺品整理の中で見落としていた相続人や財産が出てきて「思っていた分け方と違う」と感じても、いったん判を押した協議書をやり直すかどうかは軽い判断では済まない。
協議書を作ったあとに動き出す期限
協議書に押印してしまえば作業が終わるわけではない。不動産が含まれる場合、相続人は相続登記の義務化により、取得を知った日から3年以内に登記を済ませる義務を負う。被相続人に事業所得や不動産所得があった場合は、相続開始を知った日の翌日から4か月以内の準確定申告が必要になることもある。整理にかかった実費を誰がどう負担し、相続財産からどこまで支出できるかは別の論点として整理しておく必要がある。そして協議書に判を押したこと自体は、遺留分を侵害された相続人がのちに遺留分侵害額請求をする権利まで消すわけではない。
遺品整理の途中で見つかった通帳や権利証を、その場で誰かがとりあえず預かって終わりにするのではなく、家じゅうをひととおり確認したうえで財産の特定方法だけでも先に固めておく。それだけで、その後の登記や解約の窓口でのやり直しはかなり減らせる。

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