実家の生前整理を手伝っていた最中に、父が認知症の診断を受けた。本人の代わりに預金を動かそうと銀行の窓口に行ったところ、「ご本人の意思確認ができない以上、ご家族であっても手続きはできません」と言われた——という相談は少なくない。すでに任意後見契約を結んでいれば、その契約に沿って動けばよい。だが何も準備していなかった場合、家族はまず家庭裁判所に「法定後見」の申立てをするところから始めることになる。
任意後見契約があれば、原則そちらが優先される
本人がまだ判断能力を保っていたころに任意後見契約を結び、その契約が登記されている場合は、原則としてその契約が優先される。任意後見契約に関する法律第10条は、「任意後見契約が登記されている場合には、家庭裁判所は、本人の利益のため特に必要があると認めるときに限り、後見開始の審判等をすることができる」と定めている。つまり、任意後見契約がすでにあるのに、それを無視していきなり法定後見を始められるわけではない。請求できるのは本人や親族だけでなく、任意後見受任者・任意後見人・任意後見監督人も含まれる(同条2項)。そして、任意後見監督人が選任されたあとに本人が後見開始の審判等を受けた場合、その任意後見契約は終了する(同条3項)。本人の判断能力が低下する前にどう備えておくかについては、家族信託という選択肢も含めて別の記事で取り上げている。今回の記事が対象にするのは、そうした契約や信託を結んでいなかった場合に、家族が家庭裁判所に申し立てて始める「法定後見」の仕組みと手続きである。
「後見」「保佐」「補助」は判断能力の程度で分かれる
法定後見は一つの制度ではなく、本人の判断能力がどの程度残っているかによって、後見・保佐・補助という三つの類型に分かれる。民法第7条は、「精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にある者」について後見開始の審判ができると定める。第11条は、「精神上の障害により事理を弁識する能力が著しく不十分である者」について保佐開始の審判ができるとしつつ、「第7条に規定する原因がある者については、この限りでない」とただし書きを置く。つまり後見に当たる重さの人は保佐の対象にはならない。第15条は、判断能力が「不十分である者」について補助開始の審判を定めており、こちらは軽い類型に位置づけられる。
三つの類型の違いは、判断能力の程度だけではなく、援助者に与えられる権限の範囲にも表れる。成年後見人には、本人の財産に関する法律行為について原則として広い代理権と取消権が認められる。これに対して保佐人の権限は、民法第13条第1項に列挙された特定の行為に限られる。具体的には、お金を貸したり借財・保証をしたりすること、不動産その他重要な財産の権利の得喪を目的とする行為、訴訟行為、贈与・和解・仲裁合意、相続の承認や放棄・遺産分割、贈与の申込みの拒絶や遺贈の放棄、新築・改築・増築・大修繕、民法第602条の期間を超える賃貸借などであり、被保佐人がこれらを行うには保佐人の同意が必要になる。補助人の場合はさらに限定的で、第13条第1項の行為の中から家庭裁判所が個別に選んだ一部についてのみ同意権が及ぶ(第17条)。しかも本人以外の者の請求によってこの同意権を補助人に付与する審判をするには、「本人の同意がなければならない」(第17条2項)。補助開始そのものについても同様に、本人以外が申し立てる場合は本人の同意が要件になる(第15条2項)。補助という類型は、本人の意思をできるだけ残す設計になっている。
保佐人や補助人に特定の代理権を持たせることもできるが、これも審判によって個別に決まる(保佐人について民法第876条の4、補助人について第876条の9)。代理権が付与された場合は、どの行為について代理できるかを示す代理権目録が審判に添付される。後見・保佐・補助のどれになるかで、本人にできること・家族にできることの範囲がまったく変わってくる。
法務省と厚生労働省が共同で運営する成年後見制度のポータルサイトは、三類型の目安をより具体的な場面で示している。補助は「重要な手続・契約の中で、ひとりで決めることに心配がある方」が対象で、軽度の認知症で家事の支援が必要になった例を挙げる。保佐は「重要な手続・契約などを、ひとりで決めることが心配な方」で、中程度の認知症で日常生活に支障が出ている例、後見は「多くの手続・契約などを、ひとりで決めることがむずかしい方」で、入院治療が必要な重い状態の例が示されている。診断書の内容と本人の生活実態のどちらに近いかで、申立ての段階からどの類型を目指すかがおおむね見えてくる。
申立てができるのは誰か
法定後見の申立てができるのは、本人、配偶者、四親等内の親族、未成年後見人・未成年後見監督人、保佐人・保佐監督人、補助人・補助監督人、検察官である(民法第7条、第11条、第15条)。離れて暮らすきょうだいやおい・めいなど四親等内の親族であれば申立人になれる点は、実際に動くときに意外と知られていない。身寄りがない、あるいは親族が協力してくれないという場合には、区市町村長が申立てを行うことができる仕組みも用意されている。行方不明の家族の財産を家庭裁判所が選ぶ別の人に管理させる不在者財産管理人や失踪宣告とは、本人が判断能力を失っているか、行方そのものが分からないかという前提の違いで使い分けることになる。
必要な書類と、審判までの流れ
申立てには、医師が作成した診断書(成年後見制度用の書式)、申立書、本人の財産に関する資料、戸籍謄本、住民票、後見登記がされていないことの証明書などが必要になる。手続きの流れは、申立書類の提出のあと、家庭裁判所の面接が設定され、必要に応じて本人の判断能力について医師による鑑定が行われたうえで審判が下り、後見登記がされるという順番で進む。「鑑定までされるのでは」と身構える家族は多いが、最高裁判所がまとめた令和7年の統計では、全国の家庭裁判所で終局した成年後見関係事件のうち、実際に鑑定を実施したのは約3.4%にとどまる。審理にかかる期間も、同じ統計で申立てから2か月以内に終局したものが約71.1%、4か月以内では約93.8%を占めており、最も多いのは1か月以内の約37.9%だった。鑑定が不要なケースでは、思っているより早く審判まで進むことが多い。審判が出たあとも終わりではなく、後見人等は家庭裁判所に対して定期的に本人の財産状況や生活状況を報告する義務を負う。
後見人・保佐人・補助人には誰が選ばれるのか
家庭裁判所は、後見開始の審判をするときに職権で成年後見人を選任する(民法第843条1項)。この選任では、「成年被後見人の心身の状態並びに生活及び財産の状況、成年後見人となる者の職業及び経歴並びに成年被後見人との利害関係の有無」など一切の事情を考慮しなければならないと定められている(同条4項)。申立書に家族を後見人の候補者として書いても、必ずその通りに選ばれるとは限らない。先ほどの最高裁判所の統計を見ると、令和7年に選任された成年後見人等のうち、親族が選ばれたのは約16.4%にすぎず、残る約83.6%は親族以外、つまり専門職が選任されている。親族以外の内訳では司法書士が最も多く(11,966件)、弁護士(8,903件)、社会福祉士(7,280件)がこれに続く。管理する財産が大きい、親族間に意見の対立がある、専門的な判断が必要になるといった事情があれば、家族が候補者であっても専門職が選ばれる可能性は低くない。保佐人・補助人についても同様に家庭裁判所が職権で選任する。
誰でも後見人になれるわけではなく、民法第847条は欠格事由を定めている。未成年者、家庭裁判所で免ぜられた法定代理人・保佐人・補助人、破産者、被後見人に対して訴訟をし又はした者とその配偶者及び直系血族、そして行方の知れない者は、後見人になることができない。認知症の親の相続人に未成年者や判断能力が不十分な人がいる場合に、特別代理人や成年後見人が必要になる事情については、別の記事で詳しく説明している。
かかる費用
申立て時にかかる費用自体は大きくない。申立手数料として収入印紙800円、登記のための手数料として収入印紙2,600円、そのほか裁判所に納める郵便切手代が必要になる(切手の金額は裁判所ごとに運用が異なる)。これに診断書の作成費用が数千円程度加わる。本人の判断能力について鑑定が必要と判断された場合は、鑑定料として数万円から10万円程度が別途かかることがある。
見落とされやすいのは、審判が確定したあとに発生する後見人等への報酬である。これは本人の財産から支払われる継続的なコストで、金額は家庭裁判所が本人の財産状況などを踏まえて個別に決める。東京家庭裁判所が公表している運用の目安では、管理する財産額が1,000万円以下の場合は月額2万円、1,000万円超5,000万円以下の場合は月額3万円から4万円、5,000万円を超える場合は月額5万円から6万円とされている。これは東京家裁の運用目安であり、全国一律の基準ではないが、専門職が選任された場合、この報酬が本人が亡くなるまで毎月発生し続けるという点は、申立てを考えるときに頭に入れておく必要がある。
「やめたくてもやめられない」という制度の性格
法定後見は、本人の判断能力が回復しない限り、原則として本人が亡くなるまで続く。後見人の仕事が一区切りついたから、あるいは家族の負担が大きいからといって、自由に終了させることはできない。後見人になった家族や専門職は、本人のための財産管理に徹することが求められ、本人の利益にならない資産運用や大きな贈与は認められない。管理する財産が大きい場合には、日常的に使う分とそれ以外の部分を分けて管理する後見制度支援信託・支援預金という仕組みが使われることもある。審判の内容そのものに納得できない場合は、告知を受けた日の翌日から2週間以内であれば即時抗告という不服申立ての手段が家事事件手続法上用意されているが、これはあくまで審判の内容を争うための手段であり、「後見という仕組み自体をやめる」ための手続きではない。「始めるときの手続きと費用」だけでなく、「いつまで、どれだけのコストと制約が続くのか」まで見据えて申立てを検討したほうがいい。
2028年ごろには制度の姿が変わる見通し
ここまで説明してきた後見・保佐・補助という三つの類型は、実は今後見直される予定がすでに決まっている。令和8年(2026年)6月17日、後見及び保佐の制度を廃止して補助の制度に一元化することなどを内容とする民法等改正法が参議院本会議で可決・成立し、同月24日に令和8年法律第45号として公布された。施行は「公布の日から起算して2年6月を超えない範囲内において政令で定める日」とされており、実際に制度が変わるのは2028年末ごろまでの間になる見通しだ。施行までの間は、この記事で説明した現行の後見・保佐・補助の3類型がそのまま有効であり、これから申立てを考える家庭も、まずは今の制度を前提に手続きを進めることになる。
本人が亡くなったら、後見はどうなるか
成年後見人・保佐人・補助人の権限は、本人が亡くなった時点で当然に終了する。後見等はあくまで生存している本人を支えるための制度であり、死後の葬儀や医療費の清算といった事務は、原則としてその延長で自由に行えるわけではない。成年後見人がついていた家族が亡くなったあとに何をどこまでできるのか、遺品整理や相続人への引き継ぎがどう進むのかについては、死後事務の範囲を扱った記事で詳しく説明している。生前整理の段階で「誰が後見人になるのか」をあらかじめ家族で話し合っておくことの意味は、エンディングノートや家族の話し合いを扱った記事とも地続きの話になる。
判断能力が低下してから動き出しても、家庭裁判所の審理には一定の時間がかかる。その間、預金を動かすことも不動産を処分することもできないまま、必要な手続きだけが先に止まってしまう。備えるかどうかを決められるのは、本人の意思がまだはっきりしているうちに限られる。

コメント Comments
コメント一覧
コメントはありません。