仏壇の引き出しを片付けていたら、遺品と一緒に封筒に入った遺言書が出てきた。開けてみると「遺言執行者に長男の◯◯を指定する」という一文がある。次男である自分は、これまで通り形見分けや不用品の処分を進めていいのか、それとも兄からの連絡を待つべきか。遺言執行者という肩書きは知っていても、その人が実際に何をする権限を持ち、他の相続人にどこまでの制約をかけるのかを知らないまま作業を続けると、その行為自体が法律上無効になりかねない。
1. 遺言執行者とは、遺言の内容を実現する権限を持つ人
見つけた遺言書そのものを開封してよいか、検認が必要かという入り口の判断は遺品整理で遺言書を見つけたら?勝手に開封してはいけない理由と、検認・遺言の有無で変わる相続手続きで扱った。そこに「遺言執行者」の指定があった場合に何が変わるのかが、ここからの話になる。遺言執行者は、遺言者が生前に遺言書の中で指定するか、指定を第三者に委託することで決まる(民法1006条1項)。その職務は、単に「遺言の内容を見守る」ことではない。民法1012条1項は「遺言執行者は、遺言の内容を実現するため、相続財産の管理その他遺言の執行に必要な一切の行為をする権利義務を有する」と定めており、財産の管理や名義変更、預貯金の払戻しといった実務を、相続人の同意を逐一得ることなく単独で進められる立場にある。遺贈(遺言によって特定の人に財産を譲ること)の履行についても、遺言執行者がいる場合はその人だけが手続きを行えるとされている。
この権限の性質は、2019年7月1日に施行された相続法改正で大きく整理された。改正前の旧1015条は遺言執行者を「相続人の代理人とみなす」と位置づけていたが、遺言者の意思を実現する立場である遺言執行者が、時に意向の異なる相続人の代理人とされる構成には矛盾があるとの指摘があった。改正後の1015条は「遺言執行者がその権限内において遺言執行者であることを示してした行為は、相続人に対して直接にその効力を生ずる」という表現に改められ、相続人の代理人という位置づけそのものが条文から削除された。遺言執行者は相続人から独立した権限で職務を行い、その結果だけが相続人に帰属する、という整理である。
誰でも遺言執行者になれるわけではないが、資格自体は限定的である。民法1009条は未成年者と破産者を欠格事由として挙げるのみで、それ以外であれば相続人自身や受遺者が就任しても制度上は問題ない。実際、長男や配偶者がそのまま遺言執行者に指定されているケースは珍しくない。ただし相続人の一人が執行者を兼ねると、他の相続人からは「身内が財産の管理を仕切っている」という不信感を持たれやすく、専門家が就任する場合に比べて説明責任が重くなる面はある。
2. 遺言執行者がいる遺品整理では、何が「妨げる行為」になるのか
遺品整理の実務にもっとも直結するのが民法1013条である。1項は「遺言執行者がある場合には、相続人は、相続財産の処分その他遺言の執行を妨げるべき行為をすることができない」と定め、2項はこれに違反した行為を無効とする。ただし「これをもって善意の第三者に対抗することができない」という例外があり、遺言執行者の存在を知らずに遺品を買い取った古物商などには、無効を主張できない。3項は、相続人の債権者(被相続人に対する債権者を含む)が相続財産に対して権利を行使することまでは妨げないとしている。
この規定がどこまで及ぶかを示した判例が、最高裁昭和62年4月23日第一小法廷判決である。遺贈の対象になっていた不動産を相続人が第三者に譲渡・抵当権設定した事案で、最高裁はその処分行為を無効と判断した。この判決は、遺言執行者として指定された人がまだ就職を承諾していない段階での処分行為についても、無効の対象に含まれると解釈している点で重要である。遺言書に名前が書いてあるだけで、その人がまだ「引き受けます」と言っていなくても、相続人による妨害行為はすでに制約を受けるということになる。
遺品(動産)も相続財産の一部である以上、この制約の対象になりうる。特に遺言が「この時計は長女に相続させる」のように特定の遺品の帰属先を指定している場合や、家財を換価して分配する内容になっている場合は、他の相続人が独断でその品を形見分けしたり売却したりすれば、1013条の妨害行為に該当するおそれがある。仕分け作業の入り口でこの点に触れた内容は遺品整理は何から手をつける?仕分けの順番と、独断で進めると起こる法的トラブルでも扱っているが、本稿では遺言執行者という制度そのものの仕組みを掘り下げる。なお、負債の存在に気づかないまま遺品を処分してしまう場合の「法定単純承認」は、1013条とは別の条文(921条)にもとづく問題であり、遺品を勝手に処分すると相続放棄ができなくなる?「法定単純承認」をわかりやすく解説で扱った論点と合わせて意識しておく必要がある。
3. 遺言執行者は遺品整理そのものを代行してくれるわけではない
1012条の「相続財産の管理」という言葉から、遺言執行者が実家の片付けまで担ってくれると誤解されることがあるが、実務上の職務はあくまで遺言の内容を実現するための法的手続きが中心になる。預貯金の解約払戻し、不動産の相続登記、遺贈の履行といった行為がこれにあたり、家財を段ボールに詰めたり、仏壇の閉眼供養を手配したりする物理的な作業までは、通常は遺言執行者の職務に含まれない。こうした作業は、これまで通り相続人が担うことになる。
一方で、遺言に一切触れられていない日用品や消耗品まで、いちいち遺言執行者の許可を得なければ処分できないわけではないと考えられている。1013条が禁じているのは「相続財産の処分その他遺言の執行を妨げるべき行為」であり、遺言の実現に影響しない範囲での整理・処分までを一律に妨害行為とみなす趣旨ではない。ただし、何が遺言の対象に含まれ、何が対象外なのかは遺言書の文言次第で判断が分かれる。判断に迷う遺品が出てきた時点で作業の手を止め、遺言執行者に確認を取ってから続きを進めるのが、後々の無効リスクを避ける現実的な進め方になる。
4. 遺言執行者になるのは誰か、指定がない場合はどうするか
遺言執行者は、遺言書の中で名前を指定する方法のほか、「遺言執行者の指定を第三者に委託する」という形でも定められる(1006条1項)。指定された人には就任を拒否する自由があり、指定された人が就任を拒む、あるいは死亡・行方不明になっているといった事情で遺言執行者が不在になることもある。
そのまま放置しても遺言自体が無効になるわけではないが、不動産登記や預貯金の解約に遺言執行者の関与が事実上必要な場面では、家庭裁判所に選任を申し立てることになる。裁判所が公開している案内によれば、申立てができるのは相続人や受遺者、被相続人の債権者といった利害関係人で、申立先は遺言者の最後の住所地を管轄する家庭裁判所、必要な収入印紙は遺言書1通につき800円分とされている。添付書類には遺言者の死亡が記載された戸籍謄本や、遺言執行者候補者の住民票などが必要になる。
遺言執行者の指定がまったく必要ない遺言も多いが、非嫡出子を自分の子と認める「認知」や、暴力・虐待などを理由に推定相続人の相続権を奪う「相続人の廃除」は、遺言執行者でなければ手続きを進められない事項として位置づけられている。こうした内容が遺言に含まれている場合は、遺言執行者が決まらない限り、その部分の実現自体が止まってしまう。なお、遺言執行者は一人に限られるわけではなく、複数人を指定して共同で職務にあたらせることもできる。反対に、遺言執行者が担えない事務もある。相続税の申告は相続人固有の義務であり、遺言執行者の職務には含まれないため、遺品の中から高額な財産が見つかった場合でも、申告や納税の手続きは相続人自身が進める必要がある。
5. 遺言執行者の義務―就任後まず何をするか
遺言執行者は指定を受けて承諾すると、直ちにその任務に取りかからなければならない(1007条1項)。次に、遅滞なく遺言の内容を相続人全員に通知する義務を負う(1007条2項)。この通知義務は2019年の相続法改正で新設された規定で、改正前は明文の規定がなく、財産を受け取れない相続人が事情を知らされないまま置き去りにされるケースがあったという背景がある。裏を返せば、正式な通知が届く前の段階で、家族の記憶や噂話だけで遺言の内容を決めつけて遺品整理を進めてしまうと、後で食い違いが出たときに関係がこじれやすい。
そのうえで、相続財産の目録を作成して相続人に交付する義務(1011条)、委任に関する規定を準用した善管注意義務(1012条3項・644条)、相続人から請求があれば経過を報告する義務(同・645条)、職務にあたって受け取った金銭や物品を相続人に引き渡す義務(同・646条)を負う。専門家が職業として就任する場合は、一般的な注意水準よりも高い善管注意義務が求められるとされている。
実際に金融機関で手続きを進める段階では、自分が遺言執行者であることを書類で証明しなければならない。大手銀行の案内によれば、公正証書遺言なら遺言書謄本、自筆証書遺言なら家庭裁判所発行の検認済証明書、家庭裁判所の選任による場合は選任審判書謄本に加え、遺言執行者本人の印鑑登録証明書の提出が求められる。遺言書に名前があるというだけでは足りず、検認や選任という手続きを経て初めて、金融機関も遺言執行者としての権限を認めるという流れになる。
6. 遺言執行者の報酬は、遺品整理の費用とは別物
遺言執行者の報酬は、遺言者が遺言書の中で金額を定めていればそれに従う。定めがない場合は、家庭裁判所が相続財産の状況その他の事情を考慮して報酬額を決めることができる(1018条1項)。条文は委任に関する規定(648条の2など)を準用しており、報酬の支払い時期や方法もこの枠組みに沿って扱われる。相続人自身が無報酬で執行者を務めるケースがある一方、弁護士や司法書士といった専門家が就任する場合は報酬が発生するのが通常で、いずれの場合も相続財産の中から費用として支出できる。
この報酬は、業者に依頼して家財を搬出・処分してもらう際にかかる遺品整理の実費とはまったく別の費用であり、両者を混同すると誰が何をいくら負担しているのか把握しづらくなる。遺品整理の費用そのものを相続財産から支出できるかという論点は遺品整理の費用は相続財産から払える?相続税の債務控除と払戻し制度の関係を解説で、相続人の間でどう負担を分けるかという論点は遺品整理の費用は誰が払う?相続人間の負担割合と、一人が立て替えた場合の精算方法で扱っている。遺言執行者がいる家庭では、この二つの費用の流れが並行して発生している点を押さえておくと、後の清算がわかりやすくなる。
7. 遺言執行者の任務はいつ終わるのか
遺言執行者に関する疑問の中でもとりわけ多く検索されているのが、任務がいつまで続くのかという点である。法律上、明確な期限が定められているわけではなく、遺言に記載された内容―相続人の確定、財産目録の交付、預貯金の解約や不動産登記といった手続き―をすべて実行し、その経過と結果を相続人に報告した時点(1012条3項・645条後段)で任務は終了する。遺言に記載された内容をすべて実行し終えたら、書面による完了報告をもって職務が終わるという整理が一般的で、この通常終了のほか、正当な理由があって辞任を申し立てた場合や、任務を怠ったことを理由に家庭裁判所が解任の審判をした場合にも任務は終了する。遺言執行者が任務の途中で死亡した場合は、新たな指定や選任の手続きが必要になることもある。
つまり、遺言執行者がいる家では、遺品整理が終わったからといって遺言執行者の仕事まで終わったとは限らず、逆に遺言執行者の職務が完了していない段階で相続人だけの判断で遺品を動かしてしまうと、1013条の問題が蒸し返されるおそれが残る。完了報告を受け取るまでは、遺言に関わる財産については執行者の職務が進行中だと考えておいたほうがよい。
遺言書に「遺言執行者」の一文を見つけた瞬間に手を止め、その人へ連絡を入れられるかどうかが、その後の遺品整理をどれだけ穏便に進められるかを分ける。

コメント Comments
コメント一覧
コメントはありません。
トラックバックURL
https://anshin-life.biz/archives/6436/trackback