遺品整理をしていて、母子手帳や年金手帳に混じって出てくるはずの封筒が見当たらないことがある。「うちは公証役場できちんと遺言を作ってあるから心配ない」と生前によく口にしていた故人の言葉を思い出しても、その遺言書そのものが自宅のどこからも出てこない。公正証書遺言は原本が公証役場に保管されるため、自筆証書遺言のように紛失や改ざんの心配はない。しかしその分、正本を自宅に置いていなかったり処分してしまったりすると、家族は「どこで、どうやって存在を確かめればいいのか」という別の壁にぶつかることになる。
1. 公正証書遺言をつくると決めてから、当日までに何をするのか
公正証書遺言は、公証役場に一度出向けばその場で完成するものではない。誰に何を渡すかという内容を決め、必要な書類を集め、証人2人を確保したうえで、公証人との事前のやり取りを経て、ようやく作成当日を迎える。この準備段階を軽く見て当日に慌てる例は少なくない。
まず遺言者自身が、誰にどの財産を渡すかという原案を固める。次に、後述する戸籍謄本や財産関係の資料をそろえながら、最寄りの公証役場に電話やメールで相談を申し込む。公証人は提出された資料と原案をもとに遺言公正証書の文案を作成し、遺言者との間でやり取りを重ねて内容を確定させる。この文案調整に日数がかかるため、資料をそろえてから作成当日を迎えるまでには、早くても数週間はかかる。文案が固まった段階で証人2人の都合を合わせ、作成日を予約する。この一連の流れの中で、遺言者本人が公証役場に直接相談してすべてを進めることもできるし、弁護士や司法書士、行政書士に文案作成や証人の手配を依頼することもできる。専門家に依頼した場合の役割分担については本記事の最後で触れる。
2. 公証役場に持っていく書類は何か
日本公証人連合会が案内する必要書類によれば、大きく分けて4種類の資料が求められる。一つ目は遺言者本人であることを確認する資料で、3か月以内に発行された印鑑登録証明書と実印の組み合わせが基本になるが、運転免許証やマイナンバーカード、パスポートなど顔写真付きの身分証明書と認印の組み合わせでも足りるとされている。二つ目は相続関係を示す資料で、遺言者と相続人との続柄が分かる戸籍謄本が必要になる。相続人以外の人に財産を渡す内容であれば、その受遺者の住民票などの住所を確認できる書類も加わり、受遺者が法人であれば登記事項証明書が必要になる。
三つ目は財産を特定するための資料だ。不動産を含む場合は、登記事項証明書と固定資産税の納税通知書または評価証明書の両方が求められる。預貯金については通帳そのもの、あるいはそのコピーを用意しておけば、口座を正確に特定できる。四つ目が証人と遺言執行者に関する資料で、証人2人を自分で用意する場合はその氏名・住所・生年月日・職業をまとめたメモが必要になり、相続人や受遺者以外の人を遺言執行者に指定する場合は、その人の氏名・住所・生年月日を確認できる資料も添える。遺言執行者を指定しておくと、相続人が勝手に財産を処分できなくなるなど遺言の実現力が変わってくる点は遺言執行者がいると遺品整理はどう変わる?相続人でも勝手に処分できない財産と、選任・報酬のルールで扱った。日本公証人連合会の案内も同様の資料を挙げたうえで、個別の事情によって追加の資料を求められる場合があるため、最初の相談時点で公証役場に確認しておくことを勧めている。遺言に書く財産の特定方法そのものについては、後々の相続手続きを左右する部分でもあり、この点は遺言書はどう書けば無効にならない?自筆証書・公正証書・秘密証書、3つの方式のルールと選び方でも取り上げた。
3. 証人2人は誰に頼めばいいのか
公正証書遺言には、証人2人以上の立ち会いが法律上の要件になっている。未成年者や、遺言者の推定相続人・受遺者とその配偶者・直系血族、公証人の配偶者や四親等内の親族などは証人になれないという制限があり、この要件の詳細は遺言書はどう書けば無効にならない?で解説した。実務で悩ましいのは、この制限に引っかからず、かつ遺言の内容を知られても構わないと思える相手を2人見つけることだ。
友人や知人に頼む場合は、遺言の内容が証人に知られる点をあらかじめ了承してもらう必要がある。身近に適当な相手がいない場合、公証役場が証人を紹介してくれる制度があり、費用の目安は1人あたり6,000円から1万円程度になる。弁護士や司法書士、行政書士に遺言の文案作成そのものから依頼している場合は、その事務所のスタッフが証人を務める運用が一般的で、証人を別途探す手間がかからないという実務上の利点がある。証人への謝礼や紹介料は、公証人手数料とは別枠の実費になる。
4. 作成当日、公証役場では何が行われるか
民法969条が定める手順はそのまま作成当日の進行そのものになる。まず遺言者が、証人2人の立ち会いのもとで、誰に何を渡すかという遺言の内容を公証人に口頭で伝える。次に公証人がその内容を書面に筆記し、書き上げたものを遺言者と証人に読み聞かせるか閲覧させて、内容に誤りがないかを確認する。遺言者と証人がその正確性を承認したら、それぞれが署名し押印する。最後に、公証人自身がこの手続きが適式に行われたことを付記して署名押印すれば完成する。事前の文案調整をどれだけ丁寧に済ませておくかによって、当日の所要時間は変わってくるが、内容の読み聞かせと署名押印が中心になるため、財産の種類が少ない遺言であれば長時間拘束されるものではない。
作成が終わると、原本は公証役場にそのまま保管され、遺言者の手元には写しにあたる正本と謄本が渡される。この原本が公証役場に残り続ける仕組みこそが、自宅保管の自筆証書遺言と違って紛失や改ざんの心配がないとされる理由であり、同時に家族がその存在を後から確かめられる根拠にもなる。当日持参するのは、実印(または認印)と、公証人からあらかじめ指示された本人確認書類だ。
5. 公証役場に行けないときは、出張してもらうこともできる
入院中や自宅療養中で公証役場まで出向けない場合、公証人に病院や自宅まで来てもらうことができる。この場合、公証人手数料が通常の5割増しになるほか、公証人の日当や交通費が別途かかる。証人2人についても、出張先まで同行してもらう必要がある点は変わらない。手数料の具体的な段階区分は財産の価額によって細かく分かれており、その一覧は遺言書はどう書けば無効にならない?にまとめてある。
体調が急変してから慌てて出張を依頼すると、公証人と証人の日程調整だけで時間がかかり、間に合わないおそれもある。入院や療養が長引きそうだと分かった時点で、公証役場への相談だけでも早めに動き始めておきたい。
6. 認知症の診断を受けていても、公正証書遺言はつくれるのか
認知症と診断されているというだけで、遺言が無効になるわけではない。無効かどうかを分けるのは診断名そのものではなく、遺言をする時点で自分の行為の意味を理解できる「遺言能力」が本人にあったかどうかであり、この点は遺言書はどう書けば無効にならない?でも前提として触れた。税理士法人チェスターの解説と相続専門メディアの解説はいずれも、遺言能力の有無は一つの検査結果だけで機械的に決まるものではなく、精神上の障害の程度(医師の診断書や長谷川式簡易知能評価スケールの点数が参考にされる)、遺言の前後に不自然な言動がなかったか、遺言をするに至った経緯や動機が内容と食い違っていないか、遺言の内容が単純で分かりやすいものか、財産を受け取る相手と遺言者との関係性はどうかといった事情を総合して判断されると説明している。長谷川式のスケールで認知症の進行を示す低い点数が出ていても、日常生活を送るうえでの自立度や遺言内容の単純さ、動機の合理性などの事情を総合した結果、遺言能力があったと認められた裁判例もある。
公正証書遺言では、作成当日に公証人が遺言者本人と直接向き合い、口頭で内容を確認しながら筆記するという手順そのものが、本人の意思確認の役割も兼ねている。それでも後から相続人の間で遺言能力の有無が争われる可能性をできるだけ減らすために、相続を扱う法律事務所の解説は、作成の前後に主治医の診断書やカルテを確保しておくことを勧めている。診断書は、遺言能力の有無が裁判で争われた場合に特に重視される資料とされており、認知症の診断を受けた後であっても、判断力がしっかりしている時期を見計らって作成し、その時点の診断内容を記録に残しておく対応が現実的な備えになる。
7. 完成した公正証書遺言を、家族はどうやって見つけるのか
ここが自筆証書遺言と大きく異なる点だ。自筆証書遺言は自宅で保管されていれば、遺品整理の過程で現物が見つかるかどうかがすべてになるが、その紛失リスクに備えた法務局の保管制度については自筆証書遺言を法務局に預けるとどう変わる?で扱った。公正証書遺言の場合は、正本や謄本が自宅で見つからなくても、原本は必ず公証役場に残っている。家族がその存在を確かめる手段として、日本公証人連合会が運営する遺言検索システムがある。
日本公証人連合会の案内によれば、検索の対象になるのは平成元年以降に作成された公正証書遺言で、遺言者が亡くなった後は相続人などの利害関係人が申し出ることができる(生存中に本人以外が検索することはできない)。申し出に必要な書類は、遺言者が死亡した事実を証明する除籍謄本等、申出人が相続人であることを証明する戸籍謄本、そしてマイナンバーカードや運転免許証といった申出人自身の顔写真付き身分証明書の3点で、検索そのものに費用はかからない。税理士法人チェスターの解説によれば、この検索は遺言が保管されている公証役場まで出向かなくても、全国どこの公証役場の窓口でも申し出ることができる。ただし郵送やインターネットでの検索申請には対応しておらず、窓口への来訪が前提になる。
検索の結果、遺言の存在と保管している公証役場が分かったら、次はその内容を確認するために謄本を取得する段階に移る。謄本の請求自体は原本を保管している公証役場に行うのが原則だが、遠方に住んでいて出向けない場合は、最寄りの公証役場で署名認証を受けた交付申請書を取得し、それを保管先の公証役場へ郵送して請求する方法も用意されている。謄本の発行手数料はページ数に応じて1枚あたり250円で計算され、この単価は遺言作成時に正本や謄本を追加発行してもらう場合の手数料と同じ仕組みになっている。遺品整理の最中に「公証役場で遺言を作ったらしい」という話だけが記憶に残っている場合は、まず最寄りの公証役場でこの検索を申し出てみることが、現物を探し回るよりも確実な手段になる。謄本さえ取得できれば、公正証書遺言は家庭裁判所での検認を経ずにそのまま相続手続きに使うことができる。自筆証書遺言や秘密証書遺言では原則として検認が必要になり、遺言を勝手に開封すると過料の対象にもなりうる点は遺品整理で遺言書を見つけたら?勝手に開封してはいけない理由と、検認・遺言の有無で変わる相続手続きで解説した。
8. 公証役場に直接相談するか、専門家に依頼するか
公正証書遺言は、遺言者本人が直接公証役場に連絡を取り、資料をそろえて相談すれば、弁護士や司法書士を介さずに作成することができる。公証人の手数料だけで済むため費用を抑えられる一方、原案の作成や必要書類の収集、証人の手配はすべて自分で行うことになる。財産の種類が少なく、渡す相手もはっきりしている場合には、この方法でも大きな負担にはならない。
一方、財産の種類が多い、相続人以外に財産を渡したい、遺留分への配慮が必要といった事情がある場合は、弁護士や司法書士、行政書士に文案作成から依頼するほうが安全なことが多い。専門家は公証人との事前のやり取りを代行し、証人の手配も引き受けてくれるため、遺言者側の手間は大きく減る。その分、公証人手数料とは別に専門家への報酬が発生する。どちらを選ぶにしても、最終的に内容を確認し、口頭で意思を伝えるのは遺言者本人であることに変わりはなく、この本人確認と意思確認の手続きこそが、公正証書遺言が自筆証書遺言より高い証拠力を持つとされる理由になっている。
遺言の中身より先に、「どこにあるか」を家族に伝えておく
公正証書遺言は、方式の不備で無効になる心配がほとんどなく、紛失や改ざんのリスクも低い、証拠力の高い遺言の作り方だ。それでも正本の保管場所を誰にも伝えていなければ、遺品整理の現場では「遺言があるらしいが見つからない」という同じ困りごとが起きる。作成したことと、遺言検索システムで確認できるという事実だけでも、生前に家族の誰か一人に伝えておく。その一言があるかどうかが、公正証書遺言という制度の証拠力を、実際に相続の場面で生かせるかどうかを分ける。

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