タンスの上に置かれた故人の財布を開くと、マイナンバーカード、運転免許証、健康保険証、キャッシュカードが一度に出てくる。どれも顔写真や住所、生年月日、口座番号が印字された「本人確認書類」であり、思い出の品として残すものでも、まとめて可燃ごみに出してよいものでもない。かといって役所に一つずつ問い合わせる時間もない。捨てれば誰かに悪用されるかもしれず、放置すればいつまでも家の中に残り続ける。この判断に迷う書類とカードの束こそ、遺品整理の中でも見落とされがちな論点になる。
死者の個人情報は法律で「守られない」——だからこそ家族の管理が必要になる
個人情報保護法が保護しているのは「生存する個人に関する情報」であり、死者に関する情報は同法の直接の保護対象にはならない。個人情報保護委員会も公式のFAQで、個人情報保護法は「生存する個人に関する情報に限っており、死者に関する情報については保護の対象とはなりません」と明言している(個人情報保護委員会)。つまり、故人のマイナンバーカードや診療記録が万一流出しても、それ自体を理由に個人情報保護法違反を問うことは難しい。
ただし同委員会は別のFAQで、死者の相続財産に関する情報などは「死者に関する情報であると同時に、遺族に関する情報である場合があります」とも説明しており、この場合は生存する遺族本人の個人情報として保護の対象になり得る(個人情報保護委員会)。加えて同委員会は、健康保険組合などが法的な義務の対象外であっても、死者に関する情報の漏えいや滅失を防ぐため、生存者の個人情報と同等の安全管理措置を講じることは妥当だとする考え方も示している。法律が守ってくれない領域だからこそ、なりすましや不正利用を防ぐ実務上の判断は遺族の側に委ねられている、という前提でここから先を読んでほしい。
マイナンバーカードは返納しなくていい、ただし放置は禁物
マイナンバーカードの名義人が死亡した場合、家族が市区町村の窓口に返納する法律上の義務はない。松山市の公式案内でも「法令上、返納する必要はありません」と明記されている(松山市)。死亡届が提出され住民票が除票になると、カードは自動的に失効して使用できなくなるため、窓口での特別な失効手続きも不要だ。
とはいえ、すぐに処分してよいわけではない。同じ案内では、相続などの手続きで故人のマイナンバーが必要になる場合があるため、しばらくの間は保管しておくことを勧めている。いよいよ不要になった段階で、ICチップの部分にはさみを入れて物理的に破壊してから捨てれば、カード情報の読み取りを防げる。番号自体を書き写したメモや写真データを残さないことも合わせて意識したい。
運転免許証も返納義務はないが、放置すると更新通知が届き続ける
運転免許証についても、警視庁は「ご家族の方に返納していただく義務はありません」と案内している(警視庁)。ただし有効期限が残っている場合、更新のお知らせが自宅に届き続けることになるため、返納しておいた方が精神的な負担は少ない。返納は都内であれば全警察署のほか、運転免許更新センターや試験場で受け付けており、必要書類は本人の運転免許証、死亡の事実がわかる死亡診断書の写しや住民票の除票、申請する家族の本人確認書類で、手数料はかからない。手続き先の名称や窓口は都道府県ごとに異なるため、実際に返納する際は最寄りの警察署に確認する。
健康保険証はもう使えない——今は「マイナ保険証」か「資格確認書」の時代
紙の健康保険証については、遺品整理をしている今の時点で制度そのものが大きく切り替わっている事実がある。厚生労働省の案内によれば、従来の健康保険証は2024年12月2日以降新たに発行されなくなり、既に交付されていたものの有効期限も2025年12月1日で終了した。さらに、期限切れに気づかず持参した場合の猶予的な取り扱いも2026年7月31日で終了しており、現時点では従来の紙の保険証は完全に使えない(厚生労働省)。つまり故人の手元にあるのは、マイナンバーカードと一体化した「マイナ保険証」か、マイナ保険証を持たない人向けに交付される「資格確認書」のどちらかになっているはずだ。
資格確認書やその他の医療証について、日本年金機構は被保険者が死亡した場合、埋葬料や埋葬費の支給を受ける人がこれらを返納する扱いになると案内している(日本年金機構)。会社員が加入する協会けんぽや組合健保ではこの流れが基本になるが、自営業者などが加入する国民健康保険や、75歳以上が加入する後期高齢者医療制度では、死亡届と合わせて市区町村の窓口に提出する扱いになっていることが多い。返納先は加入していた制度によって変わるため、故人の保険証の種類をまず確認する必要がある。
介護保険被保険者証は死亡届と一緒に窓口へ
65歳以上で要介護・要支援の認定を受けていた場合、介護保険被保険者証やサービスの利用料の負担割合を示す負担割合証も出てくることがある。横浜市の案内では、これらの書類は死亡の届出とあわせて、故人の住民票があった区市町村の窓口に提出する手続きになっている(横浜市)。手続きの窓口名や提出方法は自治体ごとに違い、住んでいた市区町村の案内で確認できる。40歳から64歳までの人は原則として介護保険の被保険者証自体が交付されていないため、この手続きが必要になるのは主に高齢の家族を看取った場合になる。
パスポート・印鑑登録証は「届出」をして初めて手続きが終わる
パスポートは、名義人が死亡しても自動的に失効するわけではなく、家族からの届出が前提になっている。外務省の案内では、名義人が死亡した場合は故人のパスポートを、戸籍謄本など死亡の事実がわかる書類とともに、国内なら最寄りの都道府県の窓口、国外なら在外公館に届け出るよう案内しており、その後にパスポート自体の失効手続きが行われる(外務省)。有効期限内のパスポートをそのまま手元に残すと、身分証明書として悪用される懸念が消えない。記念に手元へ残したい場合も、まずは失効の届出を済ませたうえで、返却してもらえるかどうかを窓口で相談する。
印鑑登録をしていた場合はどうなるか。岡山市の案内では、死亡届が提出されれば印鑑登録の廃止手続き自体は自動的に行われるため、遺族が別途廃止の届出をする必要はないとしている。ただし、登録証明書を発行するためのカードである印鑑登録証は、実物を市区町村の窓口に返却する必要があると案内されている(岡山市)。登録自体は自動的に無効になっても、カードという「モノ」は誰かが持ち出せば別人になりすまして印鑑登録証明書を取得される懸念が理論上残る。見つかったカードは、早めに窓口へ返す。
キャッシュカード・クレジットカードは「解約」してから処分する
銀行のキャッシュカードは、金融機関に死亡の事実が伝わると口座が凍結され、原則としてそれ以降は入出金ができなくなる。相続財産としての口座の扱いや、当面の生活費・葬儀費用をどう工面するかについては、遺品整理の費用は相続財産から払えるのかで詳しく取り上げているので、資金繰りに迷った場合はそちらを参照してほしい。口座が凍結された後も、カード自体は物理的に残る。磁気ストライプやICチップにはカード番号などの情報が記録されたままなので、処分する前にハサミでチップと磁気部分を切り離し、読み取れない状態にしてから廃棄する。
クレジットカードは、名義人の死亡によって自動的に利用停止になる仕組みにはなっておらず、家族からカード会社へ連絡して解約の手続きを取るまでは、契約上は生きたままになっているのが一般的な扱いだ。年会費が発生し続けたり、サブスクリプションなどの引き落としが継続したりする可能性もあるため、通帳や請求書からカード会社を特定し、順次連絡して解約する必要がある。解約が完了したカードも、番号や有効期限が読み取れる状態のまま捨てず、キャッシュカードと同様に物理的に破壊してから処分したい。
処分する前に、まだ「使う手続き」が残っていないか確認する
ここまで紹介した書類やカードは、いずれも「不要になったから捨てる」前提で説明してきたが、実際には相続手続きの途中で再び必要になるものも多い。通帳やキャッシュカードは預金の解約・払い戻しに、健康保険証や資格確認書は高額療養費の還付や葬祭費の請求に、それぞれ番号や記号を確認する場面が出てくる。相続手続き全体を通じてどの書類を残すべきかは、遺品整理で捨ててはいけないものとはで個別に整理しているので、目の前の一枚を処分する前に、そちらのチェックリストと突き合わせておくと二度手間を防げる。デジタル機器やオンライン口座、SNSアカウントといった「デジタル遺品」側の個人情報については、デジタル遺品とは何かでまとめて扱っている。紙とカードの整理を終えたら、そちらにも目を通しておくと抜け漏れが少ない。
シュレッダー・溶解処分の実務と、業者に任せる場合の確認点
書類の枚数が数枚程度であれば家庭用のシュレッダーで十分だが、遺品整理では住所・氏名・生年月日が印字された郵便物や領収書、診察券、年金関連の通知などが箱いっぱいに出てくることも珍しくない。自治体によっては公共施設に大型のシュレッダーを設置していたり、廃棄物処理業者や製紙会社が個人情報を含む書類の溶解処理サービスを提供していたりするので、量が多い場合はこうしたサービスを探すのも一つの方法になる。
遺品整理業者に作業をまとめて依頼する場合は、料金や作業範囲だけでなく、個人情報が記載された書類やカードをどう扱う契約になっているかも確認事項に加えておく。遺品整理と廃品回収は何が違うのかで触れているとおり、家庭ごみを回収する許可しか持たない業者や、許可自体を持たない無許可の業者が、回収した遺品を無断で転売しているという行政の調査結果も出ている。個人情報を含む書類がそうした経路に流れれば、なりすまし被害につながりかねない。実際に無断で売却され代金が返金されなかったといったトラブルは遺品整理での「ネコババ」はなぜ問題になるのかで解説した着服・横領の問題とも地続きであり、見積もり段階で機密保持や処理後の対応について説明できるかどうかは、業者を見極める材料になる。
捨てる前に、まだ生きている手続きが残っていないかを一度確認する。それだけで、詐欺の材料にされるリスクと、あとから書類を探し直す二度手間の両方を同時に避けられる。

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