仏壇の引き出しを片付けていると、信託銀行から送られてきた「遺言信託に関するご案内」という冊子と、毎年9月ごろに引き落とされている「保管料」の記帳が通帳に残っているのに気づいた。実家の遺言書は近所の公証役場で作った公正証書遺言のはずなのに、なぜ別に銀行とも契約を結んでいるのか。遺族が戸惑うのは、遺言そのものと、その遺言を預けて実行してもらう契約とが、別の手続きとして積み重なっているからだ。
1. 遺言信託とは、信託銀行が遺言の作成から執行までを引き受けるサービス
遺言信託は、法律用語というより信託銀行等が提供する金融商品の名称である。業界団体である信託協会は、「信託銀行等が遺言書作成の相談から、遺言書の保管、そして遺言書の執行まで相続に関する手続きをサポートするサービス」と説明している。流れはおおむね四段階に分かれる。まず遺言者が信託銀行等に事前相談し、誰にどの財産を渡すかという内容や相続人の範囲を伝える。次に公証役場で公正証書遺言を作成し、その際に信託銀行等を遺言執行者に指定する。続いて遺言書の正本や財産資料を信託銀行等に提出して保管を申し込み、あわせて本人の死亡時に連絡を入れる「死亡通知人」を指定しておく。そして本人が亡くなり死亡通知を受けた段階で、信託銀行等は遺言の内容を相続人に開示し、財産の調査・目録作成、相続税手続きの支援、預貯金や不動産の名義変更といった執行業務に入る。
2. 信託銀行が遺言を預かり、実行できる法律上の根拠
銀行が信託業務を兼ねて営むことができるのは、信託業法ではなく別の特別法にもとづいている。金融機関の信託業務の兼営等に関する法律(昭和18年法律第43号、いわゆる兼営法)1条1項は、「銀行その他の金融機関(政令で定めるものに限る)は、他の法律の規定にかかわらず、内閣総理大臣の認可を受けて」同項各号の業務を営むことができると定め、その4号に「財産に関する遺言の執行」を掲げている。つまり遺言の保管や執行を業として行うには、信託業法上の免許とは別に、この法律にもとづく認可が必要になる。普段取引している銀行の窓口担当者が勝手に遺言執行を代行しているわけではなく、認可を受けた信託銀行等だけが担える業務だということになる。
3. 保管できるのは原則として公正証書遺言だけ
遺言信託の保管対象は、原則として公正証書遺言に限られる。自筆で書いた遺言書を法務局に預ける制度は別にあり、自筆証書遺言を法務局に預けるとどう変わる?「遺言書保管制度」の費用・手続きと、死亡後に家族へ届く通知の仕組みで扱った法務局の保管制度とは運営主体も費用体系もまったく異なる。遺言信託を利用する場合、公証役場での公正証書遺言の作成自体は避けて通れず、相談から作成当日までの具体的な流れは公正証書遺言はどうやって作る?相談から当日までの流れと必要書類、家族が死後に見つける方法で解説した内容がそのまま当てはまる。遺言信託はこの公正証書遺言の手続きに、保管と執行という後工程を信託銀行が追加で引き受ける契約だと考えるとわかりやすい。
4. 費用はいくらかかるのか――契約時手数料・保管料・執行報酬
遺言信託の費用は、大きく分けて契約時の手数料、毎年の保管料、相続開始後に発生する執行報酬の三つで構成される。三菱UFJ信託銀行が自社サイトで公開している「遺言信託[遺心伝心]」の料金ページ(ページ上の注記によれば2019年10月1日時点の情報)を例にとると、契約時の取扱手数料は30万円型プランで33万円、100万円型プランで110万円(いずれも消費税込み)、年間保管料は5,500円、中途解約金は30万円型プランで22万円、100万円型プランは不要とされている。相続開始後にかかる遺言執行報酬は、相続税評価額ベースの執行対象財産額に料率(1億円以下の部分で1.8%など、財産額が大きくなるほど料率は下がる段階式)を掛けて算出され、最低報酬額は30万円型プランで165万円、100万円型プランで77万円とされている。財産がそれほど多くない家庭でも、この最低報酬額を下回ることはない。同様の手数料体系は税理士法人の解説でも「総額で100万円以上の手数料が発生するのが一般的」と紹介されている。金額体系は信託銀行ごとに異なり、時期によって改定されることもあるため、ここに挙げた数字はあくまで一行が公表している一例にすぎない。
5. メリットとして語られること、見落とされやすい注意点
信託銀行側が強調するメリットは、遺言内容についての専門的な相談に応じてもらえること、正本が銀行で安全に保管されること、死亡通知人を通じて相続開始が確実に伝わる仕組みがあること、そして財産目録の作成や名義変更といった実務を一括して任せられ、相続人同士が手続きの進め方で対立する場面を減らせることにある。三菱UFJ信託銀行自身も、配偶者や家族の生活の安定を望む人、子どものいない夫婦、財産を社会のために役立てたい人などに向くサービスだと案内している。
一方で見落とされやすい注意点もある。前述の兼営法が信託銀行に認めているのは「財産に関する遺言の執行」であり、相続税の申告は税理士の業務、不動産の相続登記は司法書士の業務にあたるため、これらの費用は遺言信託の契約料に含まれておらず、別途専門家への報酬が発生する。税理士法人チェスターの解説も、信託銀行が引き受けるのはあくまで財産に関する内容に限られる点を指摘している。さらに、相続人間ですでに対立があったり、訴訟に発展する可能性が高いと見込まれたりする案件では、信託銀行側が遺言執行の引き受けを辞退するケースがあるとも説明されている。相続人同士の折り合いが悪い家庭ほど、契約していたはずの遺言信託が実際には機能しない事態になりかねない。契約を途中で解約しても支払った手数料は返金されず、プランによっては別途解約金がかかる点も、契約時点であまり意識されない負担になりやすい。
向き不向きという視点で見ると、相続人同士の関係が穏やかで、財産の種類や渡し先がある程度固まっており、遺産の規模が最低報酬額を払っても見合う家庭には利用する意味がある。反対に、財産の大半が自宅不動産と預金程度で評価額が大きくない家庭や、相続人がもともと少なく手続き自体がそれほど複雑にならない家庭では、数十万円から百万円超という手数料が重く感じられやすい。遺言執行者を専門職(弁護士・司法書士・行政書士)に依頼した場合の報酬相場と比べてどちらが見合うかを、契約前に一度計算してみる価値がある。
6. 「遺言信託」と「遺言代用信託」は名前が似ているが別物
遺言信託としばしば混同されるのが「遺言代用信託」である。名称は似ているが仕組みはまったく異なり、遺言信託が公正証書遺言の作成・保管・執行を一括で請け負う前述のサービスであるのに対し、遺言代用信託は信託法90条にもとづく信託契約そのものを指す。委託者が生きている間は委託者自身を受益者とし、死亡した時点であらかじめ指定しておいた人が受益権を取得するという設計で、遺言書を作成しなくても、契約だけで死亡時の財産承継を実現できる点が特徴になる。この仕組みの詳しい内容と、家族信託との関係については認知症になると預金が引き出せなくなる?生前に備える「家族信託」の仕組みと、成年後見との違いの中で扱っている。遺言信託の案内を受け取った家族が「代用信託」という似た言葉を別の書類でも目にした場合、それは同じサービスの言い換えではなく、契約書の表題そのものが別の制度を指している。
7. 遺言執行者制度、家族信託との役割分担
遺言信託は、突き詰めれば「信託銀行等を遺言執行者に指定する契約」の一種である。遺言執行者そのものの権限や義務、相続人が遺言の執行を妨げる行為をするとどうなるかという一般的なルールは、民法1006条以下にもとづいて遺言執行者がいると遺品整理はどう変わる?相続人でも勝手に処分できない財産と、選任・報酬のルールで扱った内容がそのまま当てはまる。個人の遺言執行者と違うのは、信託銀行という組織が担当することで、担当者の異動や退職があっても業務が引き継がれ、長期間にわたって安定して機能しやすい点にある。
家族信託は、認知症などで判断能力が低下する前に、不動産や預金の管理・処分の権限をあらかじめ家族に移しておく生前の契約であり、本人が生きている間の資産の動かしにくさを解消する仕組みだ。これに対して遺言信託は、死後の遺言執行に特化したサービスであり、生前の財産管理には関与しない。実務では、判断能力の低下に備えて家族信託を組みつつ、死後の遺言執行は信託銀行に任せるというように、両方を組み合わせて使う家庭もある。両者は補い合う関係にあり、どちらか一方だけで生前から死後まですべてをカバーしているわけではない。
8. 遺言信託を解約・変更したくなったら
遺言そのものの内容を書き直したい、あるいは撤回したいという希望自体は、遺言者が生きている限りいつでも自由に行使できる。複数の遺言書が見つかった場合の優先順位や、撤回・書き直しの具体的な方法は遺言書を書き直したい・撤回したいときはどうする?複数の遺言書が見つかった場合の優先順位と手続きを解説で扱った内容がそのまま当てはまる。ただし遺言信託の場合、遺言の内容を変えるだけでなく、信託銀行との保管・執行委任契約そのものを見直す手続きが別途必要になる。遺言内容を変更すれば、信託銀行側で預かっている正本や財産資料も更新しなければならず、変更の都度、追加の手数料がかかる契約になっていることが多い。契約自体を解約する場合も、前述のとおりすでに払い込んだ契約時手数料は戻らず、プランによっては中途解約金が上乗せされる。遺言の中身を変える自由と、銀行との契約を解消する自由は、法律上は別物として扱われている。
遺品からこの契約書類が出てきたら、まず信託銀行の相続窓口に連絡を
遺品の中から「遺言信託のしおり」や契約内容のお知らせが見つかったら、まずそこに記載された信託銀行の相続関連の窓口に死亡の事実を連絡することから始まる。死亡通知人が別に指定されていれば、先にその人を通じて銀行側に連絡が入ることもある。契約の存在自体がはっきりしない場合でも、通帳に毎年同じ時期の保管料の引き落としが続いていれば、契約がまだ生きている証拠になる。連絡をせずに放置すれば保管料だけが引き落とされ続け、肝心の執行サービスが始まらないままになる。契約書そのものより先に、その書類が誰の手に渡っているかを家族に伝えておくことが、この仕組みを実際に役立てられるかどうかを分けている。

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