仏壇の引き出しを片付けていたら、遺言書が出てきた。「絵画と腕時計は、長年世話になった友人のBさんに遺贈する」と書かれている。Bさんは相続人ではない。その遺品に相続人が手を付けていいのか、Bさんが受け取りを断ったら絵画はどこへ行くのか、判断がつかないまま遺品整理の手が止まる。遺贈は相続人の合意だけで動かせる財産ではなく、受け取る側にも放棄という選択肢と、それぞれ異なる期限がある。
1. 遺贈とは何か、相続とはどう違うのか
遺贈とは、遺言によって、法定相続人であるかどうかを問わず特定の人に財産を無償で譲る行為である。相続人が遺産分割協議を経て財産を取得する「相続」とは別の制度で、受け取る人は「受遺者」と呼ばれる。遺言に「息子に自宅を相続させる」と書けば相続の問題だが、「友人に自宅を遺贈する」と書けば、その友人は相続人の地位を得ずに財産だけを受け取る。遺品整理の場面では、遺言書に相続人以外の名前が出てきた時点で、その遺品は通常の相続とは別の手続きで動くと考える必要がある。
1-1. 特定遺贈と包括遺贈
遺贈には二つの種類がある。「絵画を遺贈する」のように対象を個別に指定するものが特定遺贈、「遺産の4分の1を遺贈する」のように割合で指定するものが包括遺贈である。この違いは放棄の手続きだけでなく、負債の扱いにも及ぶ。特定遺贈で財産を受け取った人は、その財産に紐づく借金まで引き継ぐことはない。一方、包括受遺者は相続人と同一の権利義務を有すると定められており(日本語版Wikipedia「遺贈」)、遺産分割協議に加わる権利を持つと同時に、被相続人の借金もその割合に応じて承継する。相続人以外の人が特定遺贈で不動産を取得した場合、法定相続人が取得したときとは異なり不動産取得税の課税対象になるという指摘もある(司法書士法人レガシィの解説)。受け取る側は、この違いを知らずに「もらえるものはもらう」と判断すると、後から負債や税負担に気づくことになる。
2. 遺贈を放棄する方法と期限は、特定遺贈と包括遺贈で違う
遺贈を受け取る義務はない。民法986条は「受遺者は、遺言者の死亡後、いつでも、遺贈の放棄をすることができる」と定めており、この放棄の自由は特定遺贈と包括遺贈で共通しているが、具体的な方法と期限は大きく異なる。
2-1. 特定遺贈の放棄は、期限なく意思表示だけで足りる
特定遺贈の受遺者は、遺贈義務者(通常は相続人、遺言執行者がいる場合は遺言執行者)に対して放棄する意思を伝えるだけで手続きが完了する。家庭裁判所への申立ては不要で、口頭でも法的には成立するが、後に「言った・言わない」の争いを避けるため、内容証明郵便で意思表示を送るやり方が実務では使われている(相続弁護士ナビ(motolaw)の解説)。期限は設けられていないため、Bさんは今日放棄してもよいし、何年も判断を先延ばしにしても、法律上はそれ自体で権利を失うわけではない。
2-2. 包括遺贈の放棄は、相続放棄と同じく3か月以内に家庭裁判所へ
特定遺贈とは対照的に、包括遺贈の放棄には期限がある。民法990条は、包括受遺者が相続人と同一の権利義務を持つと定めており、この規定により相続放棄の手続きを定めた915条・921条が準用される。結果として、包括受遺者は自分が包括遺贈を受けたことを知った時から3か月以内に、家庭裁判所に放棄の申述をしなければならない(税理士法人チェスターの解説)。この期間内に何もしなければ、遺贈を承認したものとみなされる。「遺産の3分の1を遺贈する」というような書き方をされた受遺者は、特定遺贈のつもりで悠長に構えていると、気づかないうちに放棄の機会を失う。
2-3. 利害関係人から催告されたら、期間内に答える必要がある
民法987条は、相続人などの利害関係人が受遺者に対し、期間を定めて遺贈を承認するか放棄するかを決めるよう催告できると定めている。受遺者がその期間内に意思表示をしなければ、遺贈を承認したものとみなされる。遺品整理を進める相続人の側からすれば、受遺者の態度がはっきりしないまま遺産分割を進められないときに使える手段であり、受遺者の側からすれば、催告を受けたら放置してはいけないという意味を持つ。
3. 一度放棄すると、原則として取り消せない
民法989条は、遺贈の承認も放棄も、一度行うと撤回できないと定めている。放棄した後に「実は受け取りたい」と思っても、元に戻すことは原則としてできない。例外は、未成年者が法定代理人の同意なく放棄した場合や、詐欺・強迫によって放棄させられた場合など、取消しの一般的な要件に当たるケースに限られる(税理士法人チェスターの解説)。Bさんが「もらうと親族関係がこじれそうだから」という程度の理由で一度放棄してしまえば、後で絵画の価値を知って惜しくなっても取り戻せない。放棄するかどうかは、その場の空気ではなく、財産の内容と自分の立場を確認したうえで決める必要がある。
4. 放棄された遺贈の行き先は、原則として相続人に戻る
受遺者が遺贈を放棄すると、その財産はどこへ行くのか。民法995条は、遺贈が効力を生じないとき、または放棄によって効力を失ったときは、受遺者が受けるべきであったものは相続人に帰属すると定めている。遺言に「Bさんが放棄した場合はC団体に遺贈する」のような別段の定めがあれば、それが優先される(税理士法人の相続コラム)。つまりBさんが絵画の受け取りを断れば、特別な指定がない限り、その絵画は遺産分割の対象として相続人の手に戻ってくる。遺品整理を進めていた相続人にとっては、放棄の連絡を受けた時点で、その遺品を「もともと自分たちの遺産」として扱い直すことになる。
5. 受遺者が遺言者より先に死亡していたら、代襲は起こらない
遺言を書いた時点では存命だった友人Bさんが、被相続人より先に亡くなっていた場合はどうなるか。民法994条は、遺贈は遺言者の死亡以前に受遺者が死亡したときは効力を生じないと定めている。相続の場合は、子が先に死亡していればその孫が代襲相続人になるが、遺贈にはこの代襲の仕組みがない。Bさんの子が「父の代わりに絵画をもらえるはず」と考えても、法律上その権利は発生せず、遺言に「Bが死亡していた場合はその子に遺贈する」という補充的な定めがなければ、絵画は相続人に帰属する(税理士法人の相続コラム)。相続と遺贈では、死亡という同じ出来事が持つ意味が違う。
6. 負担付遺贈を放棄すると、負担の利益を受ける予定だった人も受け取れなくなる
「自宅をAに遺贈する。ただしAは、その負担として妹に500万円を支払う」のように、受遺者に一定の義務を負わせる遺贈を負担付遺贈という(弁護士法人MCの解説)。Aがこの遺贈そのものを放棄すれば、自宅を受け取る権利と同時に、妹に500万円を払う義務も消える。遺言に「Aが放棄した場合は妹が自宅を受け取る」といった別段の定めがなければ、妹は負担の利益も遺贈の対象財産も受け取れないまま、自宅は相続人に戻る。負担付遺贈が絡む遺品整理では、受遺者の判断一つで、負担の利益を当て込んでいた妹のような立場の人まで、その期待を失う。
7. 相続放棄をしても、遺贈は自動的には放棄されない
相続人が同時に特定遺贈の受遺者になっているケースもある。たとえば長男が、法定相続分とは別に「腕時計を長男に遺贈する」と遺言に書かれている場合である。この長男が借金を理由に相続放棄をしても、遺贈の放棄は別の行為であるため、何もしなければ腕時計の遺贈は生きたままになる(弁護士法人の相続コラム)。相続放棄はプラスの財産もマイナスの財産もまとめて引き継がない手続きだが、遺贈はそれとは別枠で存在する財産移転だと考えるとわかりやすい。すべての関わりを絶ちたいのであれば、相続放棄の申述と、遺贈の放棄の意思表示を、それぞれ別に行う必要がある。逆に、借金は引き継ぎたくないが腕時計だけは受け取りたいという場合は、相続放棄をしたうえで遺贈は放棄せずに受け取るという選択も成り立つ。
8. 遺贈の対象になった遺品を、相続人が勝手に処分したらどうなるか
遺言書に特定の遺品の遺贈が書かれていた場合、相続人がその遺品を勝手に処分していいかという問題が残る。遺言執行者が選任されていないうちは、遺贈義務者としての引渡し義務を負う相続人が、受遺者に渡すべき財産を処分してしまえば、受遺者に対する損害賠償責任を負う可能性がある。遺言執行者が選任されている場合はさらに規制が強く、民法1013条1項は、遺言執行者がある場合、相続人は相続財産の処分その他遺言の執行を妨げる行為をすることができないと定め、これに違反した処分は無効になる。ただし同条2項により、遺言執行者の存在を知らずに相続人から遺品を譲り受けた善意の第三者には、この無効を主張できない(弁護士法人の相続コラム)。つまり、遺言執行者がいるかどうかを確認せずに遺贈の対象になった遺品を売ってしまうと、売った相続人自身が無効な処分の責任を問われる一方、買った相手が事情を知らなければ取り戻せないという、相続人にとって一方的に不利な状況が生まれる。高価な遺品を独断で処分してはいけないという原則は、遺贈が絡む場面ではより重い意味を持つ。
9. 遺贈が遺留分を侵害している場合、相続人には請求の余地がある
遺言書に「全財産を友人Bに遺贈する」と書かれていたら、配偶者や子である相続人は何も受け取れないのかという疑問が出てくる。遺贈であっても、配偶者・子・直系尊属に保障された遺留分を侵害することはできない。遺留分を侵害された相続人は、受遺者に対して遺留分侵害額請求をすることができ、この請求権は遺贈の有効性そのものを否定するものではなく、侵害された分に相当する金額の支払いを求める権利として働く。Bさんが絵画と腕時計の遺贈を受け取ったとしても、それによって相続人の遺留分が欠けるほどの額であれば、相続人はBさんに金銭での支払いを求められる。
10. 相続人以外が遺贈を受けると、相続税が2割重くなる
友人Bさんが遺贈を受け取ると判断した場合、相続税の扱いも相続人とは異なる。被相続人の配偶者・父母・子以外の人が相続または遺贈で財産を取得したときは、その人の相続税額に2割が加算される(国税庁タックスアンサーNo.4157)。Bさんのように血族でも配偶者でもない友人が受遺者になる場合、この2割加算が必ず適用される。相続税の計算方法を考えるとき、受遺者がどのような立場の人かによって税額が変わる点は、遺贈を受け取るかどうかを判断する材料の一つになる。
遺言書に自分や相続人以外の名前が出てきたときにまず確認すべきは、それが特定遺贈か包括遺贈か、そして放棄にどれだけの期限が残っているかの二点である。遺品整理を進める手を止めてでも、この二つを先に見極める必要がある。

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